おじちゃんが亡くなりました。
御歳94歳。大往生。
ずっとおじいちゃん子で子供の頃から、畑仕事を手伝ったり(手伝うと言っても小学生で鎌を洗ったり、おじいちゃんの作業を見てたりしただけ。)ゲートボールやったり、これも練習してるのを横で見てました。ゲートボールのステッキ?あれは何て言うのかしら?触らして貰ったりして結構難しいのですよね、ゲートボール。
思い出がいっぱい。
いつも笑顔で文句一つ言わず、優しく微笑んでるおじいちゃん。
話すのが大好きで近所に言っても人気者で皆んなと仲良くたのしくおしゃべりしていました。
盛り上げ上手で唄と踊りが得意。面白いのは、おひねりを貰ったり、温泉とか行くとファンがいるらしく??女性陣におひねりを頂いたら、またそのおひねりをその方が歌う時に返すのだそう(笑)
何か良いですよね♪
学生の頃、部活に専念している時はほとんど話しもせず、すれ違いで、特にそれで悲しいとか寂しいとか気にもしていなかったけれど、社会人になってからよく会話する様になりました。
孫の中でも心配な存在だったのか、色々な話をしてくれた様な気がします。
仕事はどう??あやちゃん、何でも3年〜、5年、10年はやらなきゃダメ。教わったら、後は自分で研究するの。←踊りのお稽古は半年間習っただけで、あとは自分でこうしたらいいか、こうだったらいいか、と研究したのだそう。昔はこんなに恵まれていなかったから、農家の仕事をしながら、もう一つ普通に仕事をして、掛け持ちでお母さん達、兄弟を育て上げました。
母方の父、祖父なのですが、母には直接苦労した、心配させたくなかった、という想いがあるのか、孫の私に当時のお金の苦労話も聞かせてくれました。誰だれの〜、○○に頭を下げにいってお金を借りた、とか夜は百円のラーメン一杯食べるのがやっとだったとか、大変だったとか、ね。たぶん娘(母達、兄弟)は知らないんじゃないかな。孫だから、話やすかったのかもしれない。
戦争の話を聞こうか、聞いてみたい想いとは裏腹に話さないと言うことは、話したくない、ということだから決して聞くことは一度もしませんでした。
けれど2〜3年前。ポツリと戦争の話をおじいちゃんがしました。わたしは、初めて聞いた、という思いと少しびっくりしたのか、ほんのポツリ、ポツリと話すぐらいであまり記憶がありません。おじいちゃんも思い出したくなかったから、あまり印象深く話そうと思わなかったから、なのかもしれません。
ただ一度きりでした。
今思えば、もうその時、何か感じていたのかもしれません。
その後、倒れます。
一度復活劇を迎え、一度は心に覚悟を決めたけれど、おじいちゃんは家へと帰り、不自由になった足で、何とも力強い目と意思で身体を動かすことを、生きることを最後まであきらめませんでした。
そんなおじいちゃんの姿は今でも忘れません。
生きる姿勢、志を見せて貰いました。
平和の象徴だったんだ、と亡くなってから気付きました。
おじいちゃんが私にとって、家族の中の平和の象徴の様な存在で、
いかに社会に出てから、人生での生き方、必要な事を私に残してくれていたかが分かりました。
その時はただ、只おじいちゃんが大好きで側に居たかっただけだけれど、残してくれた財産の様な言葉と想いが私の心の中に残っています。
まだ、見てくれているかな?
そっと微笑んでくれている様な気がします。
おじいちゃんの分も生きるよ。
合掌