スキップしてメイン コンテンツに移動

ヨガ、自然、いのち

今年の元旦に泣いた記憶があります。
涙もろく喜怒哀楽どんな場面に於いてもよく泣きます。

今年、周りの友達にも先輩にも妹にも知人にも赤ちゃんが産まれました。
新しい生命の誕生。
赤ちゃんは泣く事が仕事で言葉に出来ない事を泣いて必死に伝えようとします。

赤ちゃんを見る度に、今縁あって出逢えた体操教室に通うすくすくと育っている子どもたちのことを想い幸せを願います。より良い社会を創り、渡したい思いと未来の社会に貢献してくれるであろう子どもたちの成長を祈ります。
前職はどちらかというとご年配の方と多く接していたので人の一生について今、学んでいます。
ひととの出逢い、運命はきっかけとなり人生を大いに変えていきます。

今年は自分自身を産まれたばかりの赤ちゃんのように感じていました。
ヨガも幼児児童体操も一から始めた私はまるで赤ちゃんのようにまだヨチヨチ歩きの状態。
初めてのものを見て、真似て、自分のものにしていく。
様々な情報を感覚や体感から取り込み、知識を知恵として実行、実践する一歩手前。まだ何も形に出来ていないけれど初めて出逢うことに感動し、驚き、楽しんでいる。それは子どもと同じです。

ヨガで身体の感覚が大きく変わりました。
身体での体感、実感であるので言葉で上手く表現することは難しいです。
それでもあえて言葉にすれば空気の密度が濃くなったという感じ。言い方を変えると、世界が色濃くなった、空気が吸い付くような感じ、地球の地面、地とつながっている、緑が濃い、世界の彩りが鮮やか、自然とつながっている。こんな風な不思議な表現になります。
この感覚を知らなければ、ずっと一生体感としては気付けなかったかもしれないです。
やはり現代の暮らし、生活の中では人は自然と遮断されています。切り離された存在になってしまう。比べてしまうと以前は自然と繋がっておらず取り残されたように宙に浮いてる感じだった、とも思えました。
身体の実感があまりにも少ない。電子機器の影響や身体の能力が衰え機能が低下している為に不自然で異常な状態になっているのかもしれない。
ヨガをして身体で感じ得ました。

釈尊やヨガを伝承してくださった偉大なる方々の言わんとする事が、頭で知識として理解していた事が、あぁ、こういうことなのかもしれないと身体で分かったような気がしました。

それ以来、自然のことを思うようになり、考え、深く悩むまでに至りました。果てはヨガなんて勉強していて良いのだろうか、やるべき事は他にあるのではないか、というところまで行き着いてしまいました。今まで無視してきた自然の声の叫びが一気に聞こえたようで、苦しかったです。それでも巡り巡って、辿り着いた答えは、ヨガを通し、自然のことをおもう人が一人でも増えれば良いなということでした。私がそう感じたように。
けれど、ヨガは一人一ヨガと言われており、それぞれが本来の自分と出逢い、その人が持っている可能性を最大限に活かすことでもあるので、自分だけの考えを強要せず、一人ひとりがより善い生き方をしてほしいと願うようになりました。それが自然なのだと。私にとってはそれが自然についてだったのです。

家の観葉植物や登山をしているときに木の心、植物の心と言えばいいのか、人間と同じように感じられるようになりました。単純だけれど、水を欲しているとか、根に病気を持っているとか、鉢が小さいと言っているとか、生きている声が聞こえます。生命力を感じるのです。それは花にも。
店頭に並んでいて、見た目はきれいな葉っぱの色をしているけれど、腐らないように薬をいっぱい飲まされて病気になっている、とか。最近、冬眠に入ったなど。
ひとがいないときの方が落ち着いて、よく育つようで敏感で繊細な性格、性質なのだと気付きます。
植物の些細な小さい声のようなものが聞こえるのです。
インドの支則だとサマディーに当てはまるのかなと後に思いました。サマディーとは植物、動物、石の心を感じること。

私の身体が拓かれて、気付けなかった事が気付けるようになりました。
自然に感謝をするようになり、同時に申し訳ない、罪な事をしていると思います。無知であることは罪です。
心で知る、理解したことをたいせつにしてゆきたいです。

産声をあげた赤ちゃんの世界は全てが新しいものとの出逢い。感動して、楽しみ、転んだりしながら歩く。人生味わい深く育んでゆこう。


このブログの人気の投稿

四季 12年のサイクル

皮膚疾患、不眠症、プチ鬱、未病 ... 自然の流れの中で生きていれば、自然と快復してゆく。 薬じゃなくて、自然に還る。 不自然なのが問題で病の原因。もっと言うと病と一般的に言われるものも身体の智恵の治療に入る。 知っている事以上に身体は賢い。 生命のちから。 20 才~ 32 才迄、各季節の変わり目に、体調を崩した。 はじめは夏に入る、 7 月頃。 謎のからだのだるさと不眠症、頭が朦朧として めまい、吐き気が収まらない。 病院で診て貰っても原因がわからない 何箇所、通っても同んなじ結果だった MRI 、最新機器でも生命の事は分からない 未病。 3 年間、夏に入る頃になると、その状態が続く。 その次は秋口、 9 月頃。 同じ様な症状。。。 またか、と思いつつ、不眠症の薬、漢方薬、色々試すけれど一向に変化なし。 心の病では?周りは本人は気付いてない、 無意識のストレス 精神的なものじゃないの、と言われ 余計に気にする 鬱々としていた あぁ、またこの季節が来る。。。 3 年間 冬に変わる頃はピークだった。 最悪。 忘れもしない、 11 月 7 日。 毎年、三年間、その日に病院へ行っている事に気付く。 「去年も、一昨年も、この日に来てますね」と医者に言われる 因縁。 絶対何かある。決定打だった 11 月 7 日は、冬至と言うことを知り、そこから旧暦に関心を持つ様になり、 西洋医学、現代医学では分からない 東洋思想の考え方、 自然と季節の流れ 人間も自然の一部流れのなかで生きている という考えの元 自分の体と心をテキストにし調べるようになった 次の三年は、春。 手に吹き出物が出て、痒くて水分を含んでいる 掻くとまたそこから水が吹き出て、それがまた痒い。 肌は弱くて、子供の頃から皮膚科へ行き、ステロイドを使ってた 魔法の薬で塗れば 2 ~ 3 日で消える。 けど、塗らないとまた出る。 その繰り返し。。。 何故だろう?あぁ、春は肝臓、胆嚢と関連がある。きっと内臓のお掃除をしてくれているんだ。毒出し。 そこで生命の流れを感じ始める。 あ、出なくなった と思った、今年の夏。 ちょっと風邪気味かしら?ちょっと眠い。 手に吹き出物が少し出た ちょうど 12 年...

手放す、もらう

龍村先生を師事しておりますが、沖ヨガ、龍村ヨガでは、あらゆるところで、いろんな先生から、たくさん学びなさい、と言われています。 何て懐が広いのでしょうか。 ヨガ全体が、そのような雰囲気なのだと思います。 名前や流派こそ、様々にありますが、原則は変わらず、先人、賢人が教えてくださいます。 そろそろ今年のヨガフェスタが気になるところ、タイムテーブルをチェックして参加したいと思っています。 昨年のヨガフェスタ。 いくつかヨガを受けましたが、忘れられない講義。 フリースペースでお話しされていたケンハラクマ氏。 誰でも聞ける、フリースペースの場所での事。 からだは動かしていないけれど、呼吸と気持ち、心の内容で、幾つかの内容の中でも、一番からだに残っています。忘れないこと。 沖ヨガでは、呼吸するとき、口呼吸で息を吐き、鼻から吸います。日本武術、武道の概念、中国の陰陽など、気功も入っている為、邪気払いで口から、力強く気合いも込め、声を出すときもあれば、静かに浄化の為出すときもあります。様々に。 そして、ヨガに絶対はありません。 自分のからだで確かめます。 ハラクマ先生が仰っていたのは、息を吐くときは、手放す。 吸うときは、頂く。 息を吐きながら、いろんな背負っているもの、手放せないもの、しがみついているもの、人間の欲によって持ってしまっているもの、そんな心を手放す。 そして、手放した分、入ってくる。 ありがたく感謝の気持ちで頂く。 心の呼吸してますか? 息、吐けてますか? 息、吸えてますか? 止まってたりしませんか? まずは手放しましょう。 そうしたら、新しい気が入ってきます。 からだで覚えると心でも忘れません。 心身一如です。 あの空間の、あのからたと心の感覚は今も覚えています。 やっぱりヨガはポーズだけだなく、内面を観る、呼吸を観ることはたいせつです。