住めば都。 最近、泣いたり、笑ったり。 環境も自分も変化して、よく感情が動く。 手相も見てもらったり、あ〜なるほど、と当てはまるところも感じて感慨深く今までの腑に落ちなかったところがストンと落ちた。 社会、会社に入って何十人、100人以上の方々、お客様側に至っては1000人、それ以上の方々と接した来たけれど 考え方であったり感受性はそれぞれ違って物の価値観や意識の違いもある中で ひとつのボタンの掛け違いかな?とか 優しさの表現方法の違いであったり 相手に求めることや求められこと 応えること、応え方の相違が 時に悲しい結果や憎しみや憎悪に変わるのを只立ち尽くす様に見ていた 傍観者のような自分がいました。 私自身、変にプライドが高く、 陸上競技でインターハイや国体へ行った自負からものの偏見、とまでは行かないにしても理想を追い求めすぎたり、 夢みがちな無謀さ、無防備さを持っていたり上手くバランスが取れない自分が居ました。 それを他人や周りの環境のせいにもしたりして、本当は自分の物の見方を変えなければならなかった。 ヨガやアクセスバーズ(以前のブログhttp://yogabodyheart.blogspot.jp/2016/05/blog-post.html?m=1) スピリチュアルや、 仏教関連、禅の世界をちらっと垣間見る内に、あぁ、自分は小さかったな、 染まりやすく流されやすい私はすぐ自分を見失ってしまう、そう思っては、 泥の中でも綺麗に咲く蓮に何気付かされ、教えられるているかの様でした。 泥さえも汚い、と見ているのは、自分の心。 目に見えるものは只、実在、存在するだけ。事実があるだけ。 それをどう見るかは、自分次第。 こんなにも地球は美しくて、こんなにも素晴らしい世界を見えなくしているのは心です。 曇ってしまっている心を磨いて、垢を取れば、こんなに世界は変わる。 行動の前に、心の在り方を変えれば すべては変わって見える、そんな事に実感を持って気付きました。 だから、涙が出ました。変なものの見方をしていた自分が恥ずかしかったし、どこへ行ってもそこでの環境を、人を、つながりを大切に生きている人達がいるのに自分に合わないからといって、何てトコなの??と思ってしまっていたり。 もう、恥を知れ!!!と。 それは周りの環境であったり、社会の中での自分の居場所に迷った時、人生の中で