スキップしてメイン コンテンツに移動

うちのモンステラ

観葉植物のモンステラ
出会って7、8年
毎年夏に葉を出す  家族を増やす
今年も生まれた  あたらしい子


夜にこっそり伸びる 私達が眠ったのを確認して    恥ずかしいらしい 
とても繊細な子
でも強い


強い風にも    時々洗濯物をふいに当たってしまっても   また元に戻る



人間は   花を咲かせようとする  
急げ 急げ   せっせ せっせと 早く早く
花を出せ 
芽を出せ
と言う


種をまけ  芽を出せ  実をつけろ


植物は自分のペースで   季節に応じて
芽を出し   葉を増やし  ゆっくり伸びる


枯れるでもなく
卑下するでもなく
急ぐでもなく


ただ夏の夜に いつもより少し早く成長する


モンステラのテリー






このブログの人気の投稿

四季 12年のサイクル

皮膚疾患、不眠症、プチ鬱、未病 ... 自然の流れの中で生きていれば、自然と快復してゆく。 薬じゃなくて、自然に還る。 不自然なのが問題で病の原因。もっと言うと病と一般的に言われるものも身体の智恵の治療に入る。 知っている事以上に身体は賢い。 生命のちから。 20 才~ 32 才迄、各季節の変わり目に、体調を崩した。 はじめは夏に入る、 7 月頃。 謎のからだのだるさと不眠症、頭が朦朧として めまい、吐き気が収まらない。 病院で診て貰っても原因がわからない 何箇所、通っても同んなじ結果だった MRI 、最新機器でも生命の事は分からない 未病。 3 年間、夏に入る頃になると、その状態が続く。 その次は秋口、 9 月頃。 同じ様な症状。。。 またか、と思いつつ、不眠症の薬、漢方薬、色々試すけれど一向に変化なし。 心の病では?周りは本人は気付いてない、 無意識のストレス 精神的なものじゃないの、と言われ 余計に気にする 鬱々としていた あぁ、またこの季節が来る。。。 3 年間 冬に変わる頃はピークだった。 最悪。 忘れもしない、 11 月 7 日。 毎年、三年間、その日に病院へ行っている事に気付く。 「去年も、一昨年も、この日に来てますね」と医者に言われる 因縁。 絶対何かある。決定打だった 11 月 7 日は、冬至と言うことを知り、そこから旧暦に関心を持つ様になり、 西洋医学、現代医学では分からない 東洋思想の考え方、 自然と季節の流れ 人間も自然の一部流れのなかで生きている という考えの元 自分の体と心をテキストにし調べるようになった 次の三年は、春。 手に吹き出物が出て、痒くて水分を含んでいる 掻くとまたそこから水が吹き出て、それがまた痒い。 肌は弱くて、子供の頃から皮膚科へ行き、ステロイドを使ってた 魔法の薬で塗れば 2 ~ 3 日で消える。 けど、塗らないとまた出る。 その繰り返し。。。 何故だろう?あぁ、春は肝臓、胆嚢と関連がある。きっと内臓のお掃除をしてくれているんだ。毒出し。 そこで生命の流れを感じ始める。 あ、出なくなった と思った、今年の夏。 ちょっと風邪気味かしら?ちょっと眠い。 手に吹き出物が少し出た ちょうど 12 年...

No,thanks

No , thanks. 良い言葉だな。 ずっと Yes マンだった。 ホテルマン経験もあるし、お客様に対してノーは言わない。というか言えない。 ほぼ 100% に近い、 Yes ! 子供の頃からノーと言えない子供だった。 人生の中でいつも苦しかったり悩んだり した時期は ノーと言えない煩わしさだったかもしれない。 日本人の気質もあるけれど、 受け身な方だし、 割りと自分以外の意見も柔軟に受け止められてしまう。そんな考えもあるのね、って。 他人に流されてしまう事もあって、 自分の意見や意思を見失ってしまうこともあった。 自分を見失っちゃう奴。 他人に迷惑掛けたくない、 私が耐えればいい、良い子ちゃんになってた。 でも、それで周りの人は喜ぶはずない。 だって本人の意思と違う。 不満、無意識の内に潜在的に溜まってゆく。 それが破裂する。 子供の頃友達の誘いを断れなかった。 遊びたい時もあったけど、たまに家で一人で自分の時間を過ごしたかった。 部活の陸上は総体で気持ちが切れてほとんど私の中で終わってた。 体を動かすのは好きだったけれど、 大学で何を学びたいのか、分かっていなかった。 応諾するのは案外得意な方で、 ノーと言える様になるのが、私の課題 人生において大事な場面でいつも、 イイヒト が顔を出す ... 私の生命の赴くままに、自分の心に素直に生きてゆきたい。 いいえ、私は◯◯です、違う、それは要りません、結構です、これがしたいんです。 堂々とさらりと軽やかに言いたい。 No , thanks 良い言葉だ。

ヨガ、自然、いのち

今年の元旦に泣いた記憶があります。 涙もろく喜怒哀楽どんな場面に於いてもよく泣きます。 今年、周りの友達にも先輩にも妹にも知人にも赤ちゃんが産まれました。 新しい生命の誕生。 赤ちゃんは泣く事が仕事で言葉に出来ない事を泣いて必死に伝えようとします。 赤ちゃんを見る度に、今縁あって出逢えた体操教室に通うすくすくと育っている子どもたちのことを想い幸せを願います。 より良い社会を創り、渡したい思いと未来の社会に貢献してくれるであろう子どもたちの成長を祈ります。 前職はどちらかというとご年配の方と多く接してい たので人の一生について今、学んでいます。 ひととの出逢い、運命はきっかけとなり人生を大いに変えていきます。 今年は自分自身を産まれたばかりの赤ちゃんのように感じていました。 ヨガも幼児児童体操も一から始めた私はまるで赤ちゃんのようにまだヨチヨチ歩きの状態。 初めてのものを見て、真似て、自分のものにしていく。 様々な情報を感覚や体感から取り込み、知識を知恵として実行、実践する一歩手前。 まだ何も形に出来ていないけれど初めて出逢うことに感動し、驚き、楽しんでいる。それは子どもと同じです。 ヨガで身体の感覚が大きく変わりました。 身体での体感、実感であるので言葉で上手く表現することは難しいです。 それでもあえて言葉にすれば空気の密度が濃くなったという感じ。言い方を変えると、 世界が色濃くなった、空気が吸い付くような感じ、地球の地面、地とつながっている、緑が濃い、世界の彩りが鮮やか、 自然とつながっている。 こんな風な不思議な表現になります。 この感覚を知らなければ、ずっと一生体感としては気付けなかったかもしれないです。 やはり 現代の暮らし、生活の中では人は自然と遮断されています。切り離された存在になってしまう。比べてしまうと以前は自然と繋がっておらず取り残されたように宙に浮いてる感じだった、とも思えました。 身体の実感があまりにも少ない。電子機器の影響や身体の能力が衰え機能が低下している為に不自然で異常な状態になっているのかもしれない。 ヨガをして身体で感じ得ました。 釈尊やヨガを伝承してくださった偉大なる方々の言わんとする事が、頭で知識として理解していた事が、あぁ、こういうことなのかもしれないと身体で分かったような気がしました。 それ以来、自然のことを思うようになり、考...