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鎌倉×yoga×healing sound




鎌倉にてyogaのWSに参加してきました。



その後、海へ。




かたちをくっきりと成す雲。



青に映える。





心地良い風。海。光り。

からだが浄化されます。
氣が整います。

はじめて身体で感じた倍音。
クリスタルボウルから出る音。
それはCDやスピーカーからは感じることのできない波動です。
身体全体でその振動を感じました。

とても心地良い中でのヨガでした。

音が耳から聴こえていたものが、脳に入り、体内に入り、最後は体の中から音を発しているような感覚になりました。
音と一体となりました。

クリスタルボウルとディジュリドゥ、ガング、ティンシャからなる楽器からヨガをしてみえた事。


先生のお話にあった呼吸や循環、陰陽について。
電子や細胞の核、宇宙の天体も身体の組織も似ていて、つながりがみえること。

倍音からの音で、私自身の身体はすこし時空を超えたところにいて、大気圏の狭間というのか、陰陽の間というのか、抽象的な、イメージ的な例えになりますが、そこから生まれ出た物体という感覚がありました。
そこを行ったり、来たりするような。

氣の拡がりと体という個への収縮と、いのち全体で呼吸を繰り返している、という中でのヨガでした。

上手く言葉では説明できません。

そんな感覚を感じながらのヨガでした。

あと気付いた事は、唾液の味が途中で変わった事。
調べてる訳じゃないので分かりませんが、アルカリ性に変わったような気がしました。酸性だったものが音により電子、循環が変わり、体内の血液が変わったのだと思います。

思い浮かんだのは、またもや機内の空、宙なのでした。








OM
ナマステ。


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