スキップしてメイン コンテンツに移動

goal


4/5のWS後。
鎌倉にて海を見て、江ノ電に乗り、七里ヶ浜で下車した後、江ノ島まで海沿いを歩いて帰りました。

2時間ぐらい歩いたと思います。

そんなに長くは感じませんでした。

倍音の音で全身が浄化され、詰まるものがなくなりました。
浜辺を裸足で歩きながら、鼻歌まじりに進みます。
波の音でうたっている声など周囲のひとには聴こえません。
大きな声で歌っていました。
音楽というより、音を聴いた後。
鼻歌も音から始まり、いのちの起源から、海、陸へ、そしてひとへ辿るような、音から音楽への鼻歌へ変わります。


ダイヤモンド富士が最後に迎えてくれました。

夕焼けなんて、久しぶりに見て、だんだんと赤く染まっていく景色を見たことは無いに等しいかもしれません。
最初から最後まで、日が暮れ行くのを見届けた後、終わったな、とふと思いました。
夕暮れが私に教えてくれたような、こんな景色を見せてくれた意味のような。
なぜだか、ふと幕が閉じた、と感じ、私自身に告げてくれたような気がしました。

数日後。
いろんな身の周りのものたちが別れを告げています。
携帯の画面が破損しました。
いつも持ち歩いているハンカチタオルも数枚、私の手元からなくなっています。
服、物質などなど手元から放れていきます。
物質の循環が始まっているようです。
今まで持っていたものを手放して新しい出会いをしましょう、という流れのようです。
いつまでも自分だけの手元に置いておくべきではありません、と。
物も、知識も、知恵も、愛情も、お金も持っている限りを出して、他の為に回しなさい、循環させた方が良い、その順番が今自分に来ているのですよ、と感じました。
執着しない。
求めない。
必要なものは必要なだけ巡ってくるし、必要ないものは手元から放れていく。自然の摂理と一緒のようです。


さて、とても感動したことがふたつありました。

地球交響曲の2番だけ観ていなかったのですが、先日観ました。
佐藤初女さんの本は読んだ事があったのですが、お話される姿をはじめて見ました。
とても優しい方です。
森のイスキアというところで悩める人たちを迎え入れ、料理を食べると皆癒され回復していく、前向きになる、そんな活動をずっとされている方です。
地球交響曲の中でお話されていた言葉です。
祈りは手を合わせるだけで、祈りにはなるけれども、それは静の祈りです、その祈りをしても、その人は幸せにはなりません、何も変わりません、だから私は手料理をつくるんです、その人のことを想いながら作るんです、動の祈り、生活のすべてが祈りなんです。
という言葉です。
とても感動しました。
誰かを想い、料理をつくる姿に。誰かを想い行動する姿に。
とても美しいと思いました。
初女さんにとっては料理だったのだと思います。
ひとが仕事に向き合うとき、そんな想いで取り組めたら、とても幸せですてきな事だと思います。
愛のある行動と共に生きていきたいです。


主人の話。
主人は古武術を基盤とした身体操作の研究をしていますが、それ以外にも医王会という故増永静人氏がつくられた指圧を学んでいます。世に広まっている整体、指圧とはすこし違い、とても繊細な微細なところでの身体感覚、身体の見方をします。
言葉で言うのは難しいのですが、その増永指圧と野口整体の両方を混ぜて、ひとをみる目、手があるので、昨日私自身が受けたのですが、身体が風邪を引き、不調だったところ、回復の方へ向かっています。
主に手を当て、悪いところは冷えて冷風を感じるようで、そこに愉気というものをしてもらい、背中の胸椎5番のズレを直してもらった後、自分でも分かったのですが、みるみる背中から軽くなり、私は体癖ですと、5種に属するので腰椎1番、5番の動き、そして腰椎3番の動きがわるくなると体調不良になるのですが、そこの部分がふっと軽くなり、動きを取り戻しました。
細胞が復活した感覚です。
都合により、寒いところで数時間過ごした為に、身体の芯まで冷え、風邪を引いた訳ですが、自分自身ではどうにも回復の兆しが見えず、身体が休養を求めていたところ、その手当てがきっかけとなり、細胞から元気になったのでした。
冷えと、ちょっとした背骨の何ミリかのズレ。
その些細な事で身体は他の機能するところも働かなくなります。
むりも気合いでできるでしょうが、身体の反応とは意に反します。
あの高速の回復には驚きました。
例えると、病院であまりに体調不良になり、点滴した後すごく元気になるときのような。
薬に頼ってしまうと、結局、今度は薬の副作用によって病気になります。
本来持っているもの、細胞レベルで回復する、元気になる、というのがいちばん大切なことのように思います。
薬によって抑制する、過剰にさせる、そんなものではなく。
自己治癒というものを知って欲しい、感じてほしい、と心より願います。
そんな力を本来皆もっています。







ゼロの場所。
終わって、ゼロになって、始まる、スタート。

そんな場所、湘南。海。

このブログの人気の投稿

四季 12年のサイクル

皮膚疾患、不眠症、プチ鬱、未病 ... 自然の流れの中で生きていれば、自然と快復してゆく。 薬じゃなくて、自然に還る。 不自然なのが問題で病の原因。もっと言うと病と一般的に言われるものも身体の智恵の治療に入る。 知っている事以上に身体は賢い。 生命のちから。 20 才~ 32 才迄、各季節の変わり目に、体調を崩した。 はじめは夏に入る、 7 月頃。 謎のからだのだるさと不眠症、頭が朦朧として めまい、吐き気が収まらない。 病院で診て貰っても原因がわからない 何箇所、通っても同んなじ結果だった MRI 、最新機器でも生命の事は分からない 未病。 3 年間、夏に入る頃になると、その状態が続く。 その次は秋口、 9 月頃。 同じ様な症状。。。 またか、と思いつつ、不眠症の薬、漢方薬、色々試すけれど一向に変化なし。 心の病では?周りは本人は気付いてない、 無意識のストレス 精神的なものじゃないの、と言われ 余計に気にする 鬱々としていた あぁ、またこの季節が来る。。。 3 年間 冬に変わる頃はピークだった。 最悪。 忘れもしない、 11 月 7 日。 毎年、三年間、その日に病院へ行っている事に気付く。 「去年も、一昨年も、この日に来てますね」と医者に言われる 因縁。 絶対何かある。決定打だった 11 月 7 日は、冬至と言うことを知り、そこから旧暦に関心を持つ様になり、 西洋医学、現代医学では分からない 東洋思想の考え方、 自然と季節の流れ 人間も自然の一部流れのなかで生きている という考えの元 自分の体と心をテキストにし調べるようになった 次の三年は、春。 手に吹き出物が出て、痒くて水分を含んでいる 掻くとまたそこから水が吹き出て、それがまた痒い。 肌は弱くて、子供の頃から皮膚科へ行き、ステロイドを使ってた 魔法の薬で塗れば 2 ~ 3 日で消える。 けど、塗らないとまた出る。 その繰り返し。。。 何故だろう?あぁ、春は肝臓、胆嚢と関連がある。きっと内臓のお掃除をしてくれているんだ。毒出し。 そこで生命の流れを感じ始める。 あ、出なくなった と思った、今年の夏。 ちょっと風邪気味かしら?ちょっと眠い。 手に吹き出物が少し出た ちょうど 12 年...

手放す、もらう

龍村先生を師事しておりますが、沖ヨガ、龍村ヨガでは、あらゆるところで、いろんな先生から、たくさん学びなさい、と言われています。 何て懐が広いのでしょうか。 ヨガ全体が、そのような雰囲気なのだと思います。 名前や流派こそ、様々にありますが、原則は変わらず、先人、賢人が教えてくださいます。 そろそろ今年のヨガフェスタが気になるところ、タイムテーブルをチェックして参加したいと思っています。 昨年のヨガフェスタ。 いくつかヨガを受けましたが、忘れられない講義。 フリースペースでお話しされていたケンハラクマ氏。 誰でも聞ける、フリースペースの場所での事。 からだは動かしていないけれど、呼吸と気持ち、心の内容で、幾つかの内容の中でも、一番からだに残っています。忘れないこと。 沖ヨガでは、呼吸するとき、口呼吸で息を吐き、鼻から吸います。日本武術、武道の概念、中国の陰陽など、気功も入っている為、邪気払いで口から、力強く気合いも込め、声を出すときもあれば、静かに浄化の為出すときもあります。様々に。 そして、ヨガに絶対はありません。 自分のからだで確かめます。 ハラクマ先生が仰っていたのは、息を吐くときは、手放す。 吸うときは、頂く。 息を吐きながら、いろんな背負っているもの、手放せないもの、しがみついているもの、人間の欲によって持ってしまっているもの、そんな心を手放す。 そして、手放した分、入ってくる。 ありがたく感謝の気持ちで頂く。 心の呼吸してますか? 息、吐けてますか? 息、吸えてますか? 止まってたりしませんか? まずは手放しましょう。 そうしたら、新しい気が入ってきます。 からだで覚えると心でも忘れません。 心身一如です。 あの空間の、あのからたと心の感覚は今も覚えています。 やっぱりヨガはポーズだけだなく、内面を観る、呼吸を観ることはたいせつです。

ヨガ、自然、いのち

今年の元旦に泣いた記憶があります。 涙もろく喜怒哀楽どんな場面に於いてもよく泣きます。 今年、周りの友達にも先輩にも妹にも知人にも赤ちゃんが産まれました。 新しい生命の誕生。 赤ちゃんは泣く事が仕事で言葉に出来ない事を泣いて必死に伝えようとします。 赤ちゃんを見る度に、今縁あって出逢えた体操教室に通うすくすくと育っている子どもたちのことを想い幸せを願います。 より良い社会を創り、渡したい思いと未来の社会に貢献してくれるであろう子どもたちの成長を祈ります。 前職はどちらかというとご年配の方と多く接してい たので人の一生について今、学んでいます。 ひととの出逢い、運命はきっかけとなり人生を大いに変えていきます。 今年は自分自身を産まれたばかりの赤ちゃんのように感じていました。 ヨガも幼児児童体操も一から始めた私はまるで赤ちゃんのようにまだヨチヨチ歩きの状態。 初めてのものを見て、真似て、自分のものにしていく。 様々な情報を感覚や体感から取り込み、知識を知恵として実行、実践する一歩手前。 まだ何も形に出来ていないけれど初めて出逢うことに感動し、驚き、楽しんでいる。それは子どもと同じです。 ヨガで身体の感覚が大きく変わりました。 身体での体感、実感であるので言葉で上手く表現することは難しいです。 それでもあえて言葉にすれば空気の密度が濃くなったという感じ。言い方を変えると、 世界が色濃くなった、空気が吸い付くような感じ、地球の地面、地とつながっている、緑が濃い、世界の彩りが鮮やか、 自然とつながっている。 こんな風な不思議な表現になります。 この感覚を知らなければ、ずっと一生体感としては気付けなかったかもしれないです。 やはり 現代の暮らし、生活の中では人は自然と遮断されています。切り離された存在になってしまう。比べてしまうと以前は自然と繋がっておらず取り残されたように宙に浮いてる感じだった、とも思えました。 身体の実感があまりにも少ない。電子機器の影響や身体の能力が衰え機能が低下している為に不自然で異常な状態になっているのかもしれない。 ヨガをして身体で感じ得ました。 釈尊やヨガを伝承してくださった偉大なる方々の言わんとする事が、頭で知識として理解していた事が、あぁ、こういうことなのかもしれないと身体で分かったような気がしました。 それ以来、自然のことを思うようになり、考...